プロサッカー選手を目指していた僕がプロスポーツ選手の「睡眠」を支える人になるまで

カテゴリー睡眠

2021/04/01

みなさんお疲れ様です。睡眠指導者の松本です!
今日は4月1日、年度始めということでなにか大きな発表がしたかったのですが
現在水面下で動いていることが多く、これといったリリースがないんです...
せっかくの節目なのに..と思ったので、どうして僕が現職である「睡眠指導者」を目指したのか、そのあたりを過去を振り返りながら珍しく深堀しました!
NOTEにも同じ記事を投稿していたのでコピペしちゃいました!(笑)

だいぶ長いですが、気が向いたら読んでいただけると嬉しいです。

一応タイトルは
「プロサッカー選手を目指していた僕がプロスポーツ選手の「睡眠」を支える人になるまで」です。

(ここから本文です。)

「睡眠の指導ってなに?」と思う方もいると思うので、具体的に言うと、睡眠時間を管理してアドバイスをしたり、寝具のコンサルティングを行なったり、睡眠環境について助言をしたり、眠れない方には認知行動療法を用いたカウンセリングを行ないます。日々自分も勉強しながら、新しい知識を取り入れては実践していくというのを繰り返しています。

睡眠コンサルティングヘッダー画像

そんな僕もつい最近までは「プロサッカー選手」を目指していました。正直周りがどう思っていたのかは知りませんが、本気でなりたかったし、それに準ずるくらいの行動もしてきたつもりです。これでなれなかったら仕方ない、というくらいまでやってきて結果、なれなかった人間です。(笑)
これは別にネガティブにとらえているわけではなくて、その過程で得たものは相当な財産だし、誰でも経験できることではないと思っています。

僕は割と文章を書くのが得意だし、せっかくこんなにいい経験ができていたのだから、少しでも多くの人に知ってもらいたいなということもあり、自分のなりたかったスポーツ選手に対して睡眠の指導をするまでの経緯を書いていこうと思います。少し長くなるかもしれません。(笑)
また、プロサッカー選手を目指していたことがわかりやすいように、高校、大学と割といい部分をかいつまんで書きますが、実際はもっと紆余曲折ありました。そこはいつかまた文字に起こしたいと思います。

少年団、街クラブからの強豪校へ

サッカーを始めたのは5歳の頃。ユニフォームとレガース(すね当て)の格好良さに憧れてサッカーを始めました。幼稚園で行なっていたクラブで週に1度サッカーをすることになり、最初はルールも知らず、ボールが来たらとりあえずゴールに蹴りこみ、それがオウンゴールで号泣したというエピソードもあったようです...。そんな僕がサッカーを真剣に取り組み、サッカー選手を目指すきっかけになったのが実はサッカーをやめた今でも鮮明に覚えているんです。試合形式の練習中、シュートがなかなか決まらずにいた僕に当時のコーチが
「ボールが来たら、一度キーパーの位置を確認してから、シュートを打ってみよう。」
とアドバイスをくれました。僕はそのアドバイスを受けた直後、ボールが来たのでコーチのアドバイス通りトラップしてから顔を上げました。するとキーパーの位置がしっかりと見えて、空いている方にシュートをしたらゴールが決まりました。
「そうだ!ナイス!」
そう褒めてくれました(と思います)が、その声は僕に届いていませんでした。その感触とゴールの感覚、サッカーって楽しい!そう思った瞬間で、僕のサッカー人生はそこから始まりました。
その後に活動を地域の少年団に移し、中学校では街のクラブチームに所属しプロを目指してサッカーを続けました。ここは正直端折って話しても良いくらい目立った成績は残せませんでした。決してチームが強かったわけでもなかったし、自分が飛び抜けて才能があった選手でもありませんでした。

転機があったのは中学三年生の夏。たまたま受けたセレクションで声がかかり、全国優勝の実績もある流通経済大学付属柏高校への進学が決まりました。あの時の興奮は今でも鮮明に思い出すことができますが、気が付けばもう10年前の話。24歳の10年前なんてたかがしれていますが、それでもほこりが被っているくらい昔のような思い出です。

プレミアリーグスタメン奪取と選手権ベスト4

目立った活躍もないまま、全国の中でも強豪である流経大柏高校に進学。おそらく今回の記事以上の内容はかける分量の経験があるので、高校時代の前半部分はカットさせていただきます。どん底を経験してもあきらめずにはいあがり、高校3年時の9月にようやくスタメンを奪取しました。一生スタメンに名を連ねることなんてないんじゃないかと不安になりながらも、とにかくいろんなことをやり続けた結果のスタメンでした。ちなみに同サイドでコンビを組んだたか(新垣貴之:現ギラヴァンツ北九州)は大学で活躍しそのままプロの道へ進みました。

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選手権の予選は10月。このままスタメン定着かと思ったのが束の間、次の週にはベンチにも名前が入りませんでした。決してその試合がダメだったわけではないのですが、その後の練習の紅白戦でポジションを奪われてしまいました。本当何があるかわからないし、油断は禁物だなと、痛いほど知らされました。
そのまま選手権予選が始まり、準決勝まではベンチ入りができたのですが、決勝はベンチ外。チームはそのまま優勝し、全国大会への切符を手にしました。心境でいえば、まだトップチームには残っていましたし、またチャンスがもらえるかもしれないと仲間に感謝の気持ちでいっぱいでした。

しかし、結局チャンスはものにできずに全国大会を迎えました。僕の立ち位置は絶妙で、背番号はもらったのにベンチには入れない。30人登録のベンチ入りが18人なので、19-30番目の選手だったということでしょうか。
チームはベスト4での敗退。悔しさよりも大学で絶対見返してやろうという反骨精神の方が強かったと思います。

埼玉スタジアムで、歓声の中ボールを追いかける選ばれた選手をベンチでもなく、スタンドでもなく、ベンチ裏という絶妙なポジションで見てたあの悔しさはサッカーをやめた後でも自分を奮い立たせてくれます。

ちなみに紅白戦で僕からポジションを奪った陸(大竹陸:現ヴィアティン三重)は今もサッカー続けてるし、なんなら当時は左サイドバックだったけど、諒也(小川諒也:現FC東京・日本代表)がJリーグを舞台に左サイドバックで活躍しています。今となればどうしようもなかったかなって感じです。

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人生を変えた大学サッカー

悔しい高校生活を経て僕は桐蔭横浜大学に入学しました。桐蔭横浜を選んだ理由は、関東一部リーグだからということ、スポーツが学べるということ、そして流通経済大学と戦いたいということ(進みたくなかったという方が正しいかもしれません(笑))です。高校時代と同じく、苦労した時代は割愛させていただきます。本格的にトップチームに絡みはじめることができたのが大学2年時の冬です。それまでは下のカテゴリーでいましたが、それを評価していただき(結果を出していたかと言われると微妙でしたが...)先日Jリーグでも優勝した川崎フロンターレとの練習試合にメンバー入りできました。たしか45分を3本やったのですが、僕が出場したのは2本目の途中からと3本目。その3本目には僕が2点を取り、結果的に4-1であのフロンターレに練習試合とはいえ勝つことができたのです(失点も僕のマークの選手からでしたが...笑)。もちろん当時から大島僚太選手や、先日引退を発表された中村憲剛選手は別次元にいた印象ですが、それでも自分の武器は多少なりとも通用できると思っていました。実は僕の知らない人で試合を見に来て評価してくれた人もいたくらい、その時期は脂がのっていたのだと思います。

桐蔭

結局フロンターレ側から評価されることはなかったのですが、監督からは評価してもらい3年時からトップチームになりました。ここでもなかなか思うようにはいかず、新チーム結成時は2トップに大地くん(石川大地:現ガイナーレ鳥取)とくにくん(鈴木国友:現松本山雅FC)がいて、僕のポジションだったサイドハーフにはゼイン(イサカゼイン:現川崎フロンターレ)と隼人くん(浅川隼人:現ロアッソ熊本)が先発メンバーでした。隼人くんは今もロアッソでFWとして活躍されている選手ですが、とてもサイドハーフの選手って感じではなかったんですよね。それで僕は監督に「俺を出せ!」的なニュアンスで交渉にいきましたが交渉決裂。僕がスタメンになったのはその二カ月後のことでした。ちょうどその頃に「睡眠」に着目しはじめたあたりでしょうか。

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はじめてスタメンで出た試合、僕は試合の中で決定的なチャンスをものにすることができませんでした。さすがに笑えてくるような決定機の逃し方で、試合中旭輝(眞鍋旭輝:現レノファ山口)から「自信持てよ!」と怒鳴られたくらいです。旭輝は後輩なのに。本当恥ずかしい...
でもそれが全てで、僕は結果を残すことができない選手だったのです。今更どうしたらよかったのかを考えることはないのですが、振り返ってみるとほとんどの後悔は技術的な部分ではなく、中途半端に几帳面な部分だったのかなと感じています。

実は高校大学とスタメンで出場できた試合は1試合だけ、そしてどちらもその試合を最後に出場できなくなったのです。どれほど勝負事に向いていないんだとも思いますが、結果それが実力なんだと思います。それが大学3年生の時の6月。実際に僕がサッカーをやめたのが大学4年生の時の6月なので1年後になりますね。その1年間はトップチームで試合に出場することはなく、苦しい思いをしながら過ごしてていました(という気がします...)

睡眠学に出会い、睡眠を指導する人になるまで

苦しい思いをしながら過ごしていた気がするというのも、サッカーの面では悔しい思いをしていましたが、実はその他の面では新しいものを見つけた楽しさがあったのです。それが「睡眠学」との出会いです。

はじめは一冊の本でした。ちょうど夜勤のアルバイト中、自分の中で考えたこともなかった睡眠について書かれた本に僕は夢中になりました。スタメンになった日とどっちが早かったか細かい部分は覚えていませんが、同時期だった気がします。また、それと同時期に「ニックリトルヘイルズ氏」という海外でスポーツ選手に睡眠の指導をしている方の記事を見つけました。クリスティアーノロナウドとかに睡眠を教えている人だったんですね。
「あ、世の中にはこんな職業もあるんだな。面白いな。」と思い始めました。その記事と本だけには留まらず、僕は次々と睡眠に関する本を買い始めました。また、大学のゼミ活動では運動生理学が専攻だったのですが、「プライオメトリクス」という瞬発力に関する研究を卒業研究にしようと考えていて参考文献を探していました。それも中止し、先生に「睡眠について研究がしたいです!」と言いにいきました。うちの大学では前例がなく、脳波計(睡眠状態を測定するための機械)がなかったので、睡眠の状態がわからなくともできるような睡眠制限の研究であったり、パワーナップの研究を考えて必死に論文を読み漁っていました。(最終定期には、「いびきが睡眠及び睡眠後の運動に与える影響」という題目の卒業論文を発表しました。)

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しかしその頃睡眠に対しての興味はとても大きかったのですが、あくまでプロサッカー選手になり、引退してからこういった仕事を始めたいなと考えていました。「睡眠=パフォーマンスの向上の一環」と考えていました。

そういった葛藤の中一年間を過ごし、プロサッカー選手を目指しながらもトップチームには入れず就職活動を平行して行いました。昔から極端な性格で、この頃からサッカーがだめなら睡眠について仕事がしたいと考えていたため、寝具関係の企業しかエントリーしませんでした。そこでも「プロスポーツ選手に睡眠の指導がしたいです!まだ日本には浸透していませんが、そこを支えるようになりたいです。」とおそらくどの企業でも言ったと思います。

いくつかの企業に内定をいただきましたが、その想いに一番共感してくれた企業へ就職することに決めました。となるとサッカーはどうしよう。僕は1週間必死に考えました(今思うと、16年続けたサッカーを1週間でやめる決断ができたことはすごいなと思います(笑))。
きっとこの先、僕はサッカー選手として目指すべき場所にはたどり着けない。人生で一番大きな挫折を味わいました。どうせやめるなら、最後までやりきってやめようという選択肢ももちろんありましたが、僕は少しでも睡眠の勉強に時間を割きたいと思い、すぐにやめる決断をしました。(今でもたまにもう少し続けてたらどうなったのかなとも思いますが、おそらく何も変わっていないと思います。)

そして22歳の誕生日を迎えた当日。大学の公式ユニフォームをもって監督のところに行き、やめる旨を伝えました。第二の人生だという意味でも区切りのいい日だったなと思っています。話した内容とか細かくは覚えていないのですが、とてもすっきりとした覚えがあります。その日からすぐに資格取得の勉強をしました。残念ながら当時は一人暮らしをしていて、アルバイトで生活を賄っていたのでとてもお金に余裕がありませんでした。大学生でも取れる金額の資格をそこで取得しました。本当はもっと取得したい資格があったのですが、金額が足りずに断念しました...(ちなみに睡眠に関する資格は現在増えていて、どれも国家資格ではなく民間資格です。)

サッカーをやめてからは、時間ができたので当時の運動施設でのアルバイトを増やしました。そこで睡眠の資格を取りました!と大きく宣伝し(資格取得はこのためでもありました)いろんな方の睡眠相談を乗りました。睡眠に関するアドバイスから、寝具に関するアドバイスまで、インプットとアウトプットを繰り返しました。

中でも「アドバイス通り寝具を変えたら腰痛が無くなりました!」
とか、「睡眠薬の服用をやめることができました!」
とかお世辞抜きで涙が出そうになるくらい嬉しい言葉をいただきました。

もっと多くの人に基礎知識だけでも伝えたい!と思い、社員の方に相談し
その施設の会議室をおさえ、自らちらしを作って宣伝し、睡眠講義を開催しました。そこでも多くの方が来て下さり、実施したアンケートでもお褒めの言葉をいただきました。

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「ちょっとしたアドバイスで睡眠は変わるし、睡眠が変われば人生が好転するかもしれない。」

こういった原体験が今の自分の活動の支えになっています。
(運動施設をやめるときには、講義に参加してくれた方や相談をしてくれた方から多くお手紙をいただきました。それも僕の支えになっています。)

就職してからは、多くの寝具に関わることはできたものの、睡眠指導からは少し離れた生活を送っていました。会社員ですので会社のためになるような仕事をしながら、SNSでの発信は微量ながら行なっているという感じでした。就職活動時になりたいといっていた自分のイメージとはかけはなれてしまったので、睡眠を指導するために独立しよう!という選択になりました。(会社員時代の話もするととても長くなってしまうので、ここでは割愛させてもらいます。)
そういった経験を経て、現在睡眠を指導する人となったわけです。

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プロスポーツ選手に睡眠の指導をするまで

これはビジネスのありきたりな話かもしれませんが、独立してすぐ上手くいくわけがありません。それは当たり前ですし、今も思い描いていた通りかと言われるとそんなことはありません。ただありがたいことに、こういった活動を知ってくれた方から、コミュニティ参加の依頼がきたり、プロスポーツ選手から興味があると連絡をいただいたり、講義の依頼もいただけたりしましたが、全てが全て上手くいったわけではありません、特に睡眠の指導の部分で体系化が甘く、どちらかというと「カウンセラー」のような立ち回りになってしまったり、クライアントから必要ないと言われたりと。今文字にしてみると、ほとんど上手くいっていませんね(笑)

また多くのビジネスをしている方と触れ合ううちに、まだ自分が何も成し遂げていないのに、より多くの人の睡眠を支えたい!特にビジネスパーソンの睡眠不足をなんとかしたい!と形にもなっていないうちにシフトチェンジを試みたりと、方向性がとっ散らかってしまいました。

そのあたりから一般の方からも相談をうけていて、もちろん真摯に対応はしましたが、先に繋がるようなことはほとんどありませんでした。一方スポーツ選手からも相談などがきていましたが、そこも一般の方と同じような対応という感じでした。

そこには当時の持論があって、スポーツ選手は睡眠を大切に考えている人が多い。だからこそ、睡眠を大切にしていない人にこそ、睡眠の大切さを理解してほしい!という思いがありました。今思うとそれは自分がやりたいことであって「需要」ではなかったんですよね。

もちろんボランティアとか、本業があれば全然問題もないし、やりたいことをやればいいのかもしれません。でも僕は独立という形を選んでしまった以上、このままではいけないと思っていました。

そう思い始めた頃に早稲田大学睡眠研究所の西多先生にお会いしました。そこで気づいたのが、一般の睡眠学はスポーツ選手に当てはまらないことがあるということです。

「こういうスポーツ選手がいるとするじゃん?睡眠コンサルタントならどうする?」と西多先生に聞かれるわけです。

「こうしてください。とアドバイスしますね。」

そう返すと

「それ、本当?」

となるわけですよ。ここがすごい面白くて、知識が現場で必ずしも生きてくるとは限らないし、それが正しいとも限らない。
スポーツ選手ならなおさらで、一般的に睡眠に良いとされていることが当てはまらなかったり、その逆も然りなんですよ。

正直もう睡眠の知識なんてネットにありふれていて、僕なんかは見飽きているくらいです。もちろんベースにはそういった知識があるのですが、自分の経験や知識も踏まえてスポーツ選手には面白い提案ができるのではないかと西多先生と話したことをきっかけに考え始めました。

またこのあたりもタイミングよく、スポーツ選手から睡眠について教えてほしいと声がかかるわけです。このあたりから自分の中で需要に合わせた供給をしようと、スポーツ選手にはどういうアドバイスをするべきか、どう考えて睡眠をよくしたいと思っているのか、など一生懸命考えました。するとまた面白いことに、新しい視点が見つかったり、自分なりの指導が体系化されていくのです。
「睡眠を指導するとは、こういうことか!」という今までになかった不思議な感覚と、原体験のような誰かのためになっている感覚が得られたのです。

僕の経験と知識を活かしながら、クライアントと真摯に向き合うことで今は自分の思うような睡眠の指導に近づいている実感が湧いています。こうなるまでに僕に相談してきてくれたスポーツ選手および一般の方には本当に感謝していますし、もっと実力をつけなければ、とも感じています。

経歴画像

今クライアントを含めてスポーツ選手に対しての想い

ここまでがタイトル通りの自分がプロスポーツ選手の睡眠を支えるまでの道のりです。ここから少し、今のクライアントやスポーツを仕事にしている方に対してどんな想いを持っているのかを書きたいと思います。

結論からいうと「尊敬」の2文字です。

自分がサッカーをやめてから就職して、社会に出てから多く言われたセリフがあります。

「それで生活できる人なんてひとにぎりだし、それは賢い選択だったと思うよ。」
「スポーツしかやってない人よりもいい選択だね。」

僕はこれを一度も肯定したことがありません。就職活動の間にJリーグからオファーの打診があるようもんなら一目散に飛びつきます。当たり前ですが、そのひとにぎりに入るために一生懸命サッカーをしてきたのです。でも僕はそうなれないと判断してこの道に進みました。それが正しいか正しくないかではなく、これ以上プロを目指すという選択肢ができなかったのです。

そこで諦めず、自分の「好き」を貫いてきた人が今、スポーツを仕事にしていると少なからず僕は思っています。僕がクライアントに対して真摯に向き合うことができているのも、そこの「尊敬」があるからです。年上も年下も関係なく、自分ごときで力になれるのならばという思いが強いです。

もうひとつは「羨ましい」ですかね。

シンプルに羨ましいです。体を動かして、自分を表現して、勝敗を楽しんで、それを職業にできていることが、本気で羨ましいです。ただ、それも多くの試練を乗り越えてのことだし、そう思うと自分もこの道で多くの試練を乗り越えていかなければならないのだと、力が湧いてきます。

もし今「夢は何ですか?」と聞かれたら、多分僕はこう答えます。

「満員のスタジアムでサッカーをすることです。あわよくばドリブルで3人くらい抜き去って、カットインからファーサイドにぶち込みたいです」って。

僕の中で「夢」は叶えるとかそういうのじゃなくて「見るもの」なんです。それは職業柄そう答えちゃおっかなというのももちろんありますが(笑)
夢というのは基本的にはレム睡眠中に見るもので記憶や感情の整理などが関係あると言われています。しかし近年ではノンレムスイミンノアイダニモユメヲミルトイワレテオリ...(以下省略します)

叶えられたらそれは、どこかのタイミングで目標に切り替わると思います。本気でそれを実践したいと思うなら目標に設定すべきだと僕は思っています。夢は、叶わないくらい現実離れしていて、大きくて盛大なものでいいんじゃないかと。だって見るものなんですから。

高校3年生の最後のベンチ入りの試合。全国高校サッカー選手権大会の千葉県予選準決勝。相手は習志野高校でした。僕はベンチのまま出場機会はありませんでしたが、その時のウォーミングアップが実は今でも忘れられないのです。習志野高校は吹奏楽部がとても有名で、甲子園などでも注目をあつめるくらい盛大な音を奏でます。音の大きさがすごいんですよとにかく。ウォーミングアップ中、ピッチ内の声が聞こえずに、コーチが身振り手振りで次の指示を出している光景が今も脳裏に焼き付いています。

その時、プロになったらこういう声が聞こえないくらいの声援の中でサッカーができるのか。とすごい興奮した覚えがあります。それは今もなお僕のあこがれでもあります。

こういった僕のあこがれや夢も乗せて、クライアントの方やスポーツ選手にはぜひ大歓声の中(今はコロナで難しい部分もありますが)ピッチを駆け回ってほしいなって思っています。

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睡眠を通して伝えたいこと

学生時代の部分や会社員時代のことも書くと、倍の分量になってしまい読み飽きてしまうんではないかなと思ったのでだいぶ省略して駆け足で書ききりましたが、おそらく自分の睡眠を指導するまでの経緯や思いは書けたんじゃないかと思います。最後に睡眠を通して伝えたいことを少し書いて終わりにしたいと思います。

そもそもどうして「睡眠」なの?って思うかもしれませんが、睡眠って本当に大切なんです。健康の面でも、成長の面でも、どんなことにも睡眠が役に立たないということはないんです。そして毎日誰もがとるということはそれだけ大切ということなのに、蔑ろにする人が多すぎる。

日本は世界で一番睡眠時間が短いので、一部では「不眠大国」とも言われています。睡眠不足はたくさんの問題があり、その背景には日本独特の風習も隠されているのではないかなと考えています。

つい先日Twitterで
「外国人の方に日本人は開始時刻はきっちりと守るのに、終了時刻は守れないといわれた」という趣旨の投稿を見かけました。自分の中ですごく腑に落ちて、こういった背景が睡眠不足の人を多く作り出すのではないかと思います。

歴史的背景や、睡眠を犠牲にして物事に取り組むことが努力ともてはやされがちな部分も含めて、何か根本的な部分にアプローチをしなければこういったことは変わらないのだなと感じています。

日本人は忙しく、睡眠時間が確保できないから、少ない睡眠時間の中でも睡眠の質を上げようというのが最近の「トレンド」というのでしょうか(あまりこういう表現はしたくないのですが)。
「睡眠の質を上げる」というフレーズをここ最近本当に良く聞きます。それは睡眠時間を確保できない前提なので、まずは適正な睡眠時間の確保からだろ!とも思うのですが、どうやら現場の声を聞いていると、本当にそんなに眠れないという職場もあるようです。それならば「質を上げる」にアプローチしても仕方がない気もしますが、やはりそれで終わらせてはいけないと感じています。睡眠時間が確保できないその社会環境にアプローチできるように、そういった構造をひっくり返せるように、日々小さな努力ですが積み重ねていきたいと考えています。これが僕の現時点の大きな目標ですかね。

起業みたいな形で独立したものだから、さぞかし稼いでるとも思われがちですが、きっとこれを読んでる方よりも稼いでませんよ(笑)よく言われるのでこれだけは言っておきたいのです。取引などもあり事務所という形を設けていますが、法人化していないのはそういう部分もあります。こんな微力ではあるんですが、目標くらい大きくないと!ということで日本のバックグラウンドまで変えたいと言わせていただいた次第でございます。

とまぁ少し綺麗にまとめましたが、それよりも何よりも僕は寝ることがとても好きです。食べることが好きな人が、おいしいものを勧めるように、身体を動かす人が運動することを勧めるように、寝るのが好きだから寝るのを勧めているという感じでもあります(笑)

僕の活動を通じて、少しでも自分の睡眠に向き合う方が増えてくれると嬉しいです。10000字以内には収めようとしていましたが、少しだけオーバーしてしまいました。拙い文章でしたがお付き合いいただきありがとうございました。

最後になりますが、睡眠について何かお困りがあればぜひご連絡ください。

2021年4月1日
Office S4S
代表 松本光浩